74年
自分は、閻魔大王様が鎮座する地獄を見たことがなければ、
ダンテが画いたインフェルノも、ボッティチェッリが描いた絵画で見知ってるだけ。
でも、
もし地獄ってモノを想像するなら、
74年前の、長崎と広島を想像する。
原爆資料館で見知った事。
語りべさん達から、聞かせてもらった事。
どんな事が起こったのか、
自分は口にもしたくない。
キノコ雲の映像を見るだけでも嫌気がさす。
あれは地獄以外の何物でもないと思う。
地獄ってモノを創りだせるのは、
神って方の所業じゃないのか?
人は、神にでもなったつもりなのか?傲りだよ。
その地獄を造りだす核兵器を、現世界は九か国14525基保有してるとか。
地獄を14525回も見たいのか。
その前に、地球上から、生物が全て消え失せる。
どっかの誰かが、ポチッとボタンを一回押すだけで。
目には、目を。
核には、核を。
愚か過ぎる。
自分は、まだまだ皆と生き。
これからの未来を、
この目で見たい。
人柱となり、今の世を築いてくれた方々の為にも。
核兵器廃絶と恒久平和を願います。
2019.8.9
長崎市長の長崎平和宣言より引用
目を閉じて聴いてください。
幾千の人の手足がふきとび
腸(はら)わたが流れ出て
人の体にうじ虫がわいた
息ある者は肉親をさがしもとめて
死がいを見つけ そして焼いた
人間を焼く煙が立ちのぼり
罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた
ケロイドだけを残してやっと戦争が終(おわ)った
だけど……
父も母も もういない
兄も妹ももどってはこない
人は忘れやすく弱いものだから
あやまちをくり返す
だけど……
このことだけは忘れてはならない
このことだけはくり返してはならない
どんなことがあっても……
これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。
原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。
0コメント